カイロ

朝食を食べに行くと1ヵ月半前にいたおばあちゃんがまだいた。普通だったら”外人さん”なんてみんな一緒に見えちゃうんだけどこのおばあちゃんはママレードの瓶を持参しているのでそれで憶えていた。
とっても綺麗な英語をしゃべるからイギリス人だと思うんだけど…。小説家か絵描きさんみたいな雰囲気。



コフタを食べた。
トルコでいう、キョフテ。味は懐かしの(?)汗臭いおすもうさん味。やっぱりよほどおいしいところじゃない限り、羊肉は臭みがあってダメなのかもしれない。これからは大人しく鶏肉食べよう。





私は何のために旅行してるのか。はっきり言ってしまえば現実逃避。日本で人間関係に縛られながらせこせこ働いていると、なぜ自分はここにいるのか、なぜ自分は働いているのか、さらになぜ自分は生きているのか、まで考えてしまう時がある。たいして趣味もないし、何かの役に立ってるわけでも役に立ちたいと思うわけでもない。自分は自分のために生きてる、という自己中心的な性格もわざわいしてると思う。
旅行に行くというのは現実逃避のための大義名分。逆を返せば、現実に満足していれば旅行になど出ない、ということだろうか。
いざ、旅行に出ると数々のいやな事や苦しい事、不安な事でおしつぶされそうになる。
旅行に出るたびに「もう2度と旅行なんてしない」と思う。
逃れたかったはずの現実、日本が恋しくなる。
そう考えると、旅行に出るということはわがままでだらしのない私を懲らしめるいい薬なのかもしれない。
しかし喉元通れば熱さを忘れる、で旅行から帰ってしばらくすると旅行の楽しい思い出だけが思い出される。そして現実逃避癖とあいまって、また旅に出たくなるのだ。